The History of Sound & Recording

1957年TD-102

ここから歴史が始まった
ティアック株式会社(以下、ティアック)は、1953年8月26日に、谷勝馬(ティアック創業者)と弟の谷鞆馬が、現在のティアックの前身である東京テレビ音響株式会社(=後のティアックオーディオ株式会社・東京都三鷹)を設立、そして、1956年に東京電気音響株式会社(=後のティアック・東京都墨田区)を設立し、1964年に両社が合併し、現在のティアックになりました。

1957年、設立されたばかりの東京電気音響の簡素な工場に、
2人のアメリカ人が訪れました。

アメリカのラジオ問屋の大手である、ラファイエット・ラジオ社のブレットマン社長とジンメルマン技術部長でした。谷勝馬が、『TD-102』の試作品を見せたところ、「これをキャビネットに収め、再生アンプを内蔵したテーププレーヤーを作って欲しい」と、なんとその場で25台を発注。大量受注に喜んだのもつかの間、当時アンプを調整する担当者が一人しかおらず、72時間不眠不休で作業を続けたという逸話が伝えられています。 努力の甲斐もあり、『TD-102』は海を越え、アメリカでもオーディオファンから愛されるようになりました。

しかし、ラファイエット社の注文も、
暮れになると途切れてしまいました。

当時、定価6万円の製品は非常に高額であること(当時の大卒銀行員の初任給は、1.5万円)、そして、レコードが主流だった時代に、テープでの録音&再生システムは早すぎたためです。早くも苦境に立ったティアック。しかし、救世主が現れました。 1958年1月、フィルコ社で技師をしていたプレッシュ氏が、『TD-102』の評判を聞きつけ工場を訪れました。「こんないいものがあるのに、どうしてもっと宣伝をしないのか?私は立川基地の極東オーディオクラブの世話役をしているから、そこでデモンストレーションをしたらどうでしょう?」と申し出てくれました。立川基地でのデモンストレーションは大成功。デモで持ち込んだ50台すべてが完売したそうです。 谷勝馬は、「それからが大変でした。墨田のボロ工場の前に、連日外車が停まり、TD-102を前金で買っていく。このミスター・プレッシュは、ティアックの福の神とも言ってもいい人です。ともかく、商売というのはどういうものかを教えてくれた人。海外展開の最初の種をまいてくれたのはこの人なんです」と回想していました。
また、このテープデッキが好評を得たのは、当時、アメリカで権威ある消費者雑誌「コンシュマーズ・リポート」において、代表的なオーディオ製品17機種をテストし、TD-102が5位にランクインされためでした。それを知った谷勝馬は、「どんな苦境にあっても、技術的に優れたものをつくっていれば、必ず認められる」という確信を一段と強め、それが、ティアックの「世界最高の製品を生産し、それを供給することにティアックの存在意義がある」というバックボーンになりました。 

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